『 秀吉が愛した・・・湧水・・・ 』
- 2014/03/31(月) | 日々のこと | reform & technical
先だって古賀市のお客様宅に訪問する途中、古賀市小竹の近くの県道503号(旧唐津街道)沿いに
「太閤水」なるものを見みつけました (*σ´∀`)σ。
「天正15(1587)年3月、九州征伐の軍勢をおこした太閤秀吉が、島津義久降伏後の帰途中に肥後~筑後~筑前大宰府~箱崎~を進んできて、青柳(古賀町)辺りで昼食、そして宗像(城山)を目指し、山の口峠にさしかかった際あまりの暑さで休止、水を求めたそうです。
千利休が土地の人の案内で得た水を献上すると秀吉は、大変喜んだと伝えられて以来この清水を「太閤水」と呼びんで街道を行き交う人々との喉を潤す飲料水となったそうです。
面白いのは「太閤水」は他にも北九州市若松区、宗像市、粕屋郡新宮町、
福岡市西区、二丈町、鎮西町にも残っているそうですよ(*σ´∀`)σ。
今は、この御堂の裏に、ポンプでくみ上げ蛇口から出るようになってます。私が見学してる間にも多くの方が水を汲みに来られてました。
もちろん私も喉を潤し、遠く秀吉に思いをはせたのでした。
あ~ 甘露、甘露・・.+:。(´∀`)゚.+:。
【※唐津街道は江戸時代に筑前藩(福岡藩)と唐津藩が参勤交代に使っていたので、
唐津街道と呼ばれていたそうです】
塚 本